新構造社概要

新構造社の創立は大正15年彫刻家斉藤素巌、日名子実三の両人により構造社として結成され、第1回展は昭和2年東京府美術館にて開催された。
翌年絵画部が設立され毎年展覧会を開催していたが、昭和10年斉藤氏が帝院の会員に任命されるや、絵画部は三村英一氏を代表として独立して府美術館で展覧会を開催し、昭和11年寺畑助乃丞の率いる17会(彫刻部門)がこれに合流し、後に工芸部を新設して、名を新構造社と改称して、毎年都美術館において美術展覧会を開催してきた。

昭和19年11月3日、時の情報局の団体統合の要求を容れて一旦展覧会を中止、続いて昭和21年4月、再び旧会員の要求により新構造社を復活した。
新構造社は「美術上の研究並びにその作品発表をもって目的とす」また「純粋なる在野精神を基調とし、作者の自己完成を図ることに重きをなす」また『作者は各自の自由な立場をもって芸術探求を行い、イズムに制約されない、作者の人格を尊重する」ことをもって目的とする。

戦争後、いち早く立ち上がりを見せた新構造社は、昭和21年、東京都美術館において、他展が未だ開催されない時期に、絵画・彫刻・工芸により展覧会を開催した。
昭和22年には、写真部を創設した。また昭和24年には太平洋画会、朱葉会、創造美術会との4団体による自主連立展を開催した。
当時各美術団体は、終戦後の立上りに苦悩していた時代で、この合同展示形式が生まれ出る事情がそこに存在したのである。
その後、昭和27年に太平洋画会が、また昭和36年に創造美術会が自主連立を脱退し、その後、新構造社は朱葉会と共に展覧会を開催してきたが、昭和50年新美術館が完成するに際し、、お互いに独立し、昭和51年に第48回展より単独の展覧会を開催することになった。

運営面では昭和33年に新構造社の生みの親と言っても差し支えない三村英一氏が急逝し、その後、会の運営は委員による合議方式で運営され、代表に本目勇市氏が当たっていたが平成9年逝去され、現在の運営委員代表は清浦正風氏であったが平成22年9月24日に亡くなったため、古川泰司氏が引き継いだ。
そして平成24年9月25日「一般社団法人 新構造社」に組織変更し透明性のある会を目指す。平成27年6月には新しく中谷時男理事長が就任し新執行部体制でその任に当たる。